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HISTORY

 
     
 

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Historical Background of Baltit Fort-Hunza

 
 

バルティット城の歴史  概略

1857年英国の支配となるまで、イスラム教のムガール帝國がインドを中心に繁栄していたが、その当時パキスタンの北部には8つ以上の独立国があった。その中で、フンザとナジェルの両国は、東から西へ流れるフンザ川をはさんで両側に向かい合っており、つねに敵対していた。したがってフンザは、防衛上に必要から“アルティット城”と“バルティット城“という二つの城砦を築いた。それがこのバルティット城の起こりである。

 フンザの代々の王たちはアルティット城に住んでいた。フンザの人々は“王”のことを“ミール”という敬称で呼んでいる。あるとき、二人の王子の間で王位を奪い合う抗争事件が起こり、それが原因でフンザの王宮はバルティット城に移ることとなった。この二人とは、かのシャー・アバス王子と、アリ・カーン王子である。フンザ王国の中でも、カリマバッド州のバルティット周辺の人々は兄のシャー・アバス王子の方を敬愛したが、アルティット周辺の人々は弟のアリ・カーン王子の方に従ってアルティットに留まった。この王族間の闘争でアリ・カーン王子が暗殺され、シャー・アバス王子がフンザの王となった。それ以来、バルティット城が王の居城となっていたのである。

 土地の言い伝えでは、バルティット城は約700年前の建造ということになっていたが、実際に、近代科学でも“カーボン試験”による年代調査の結果、まさしく765年前ということが証明された。しかしこの城砦は、何年にもわたってあちこちに設計変更や増築が行われているから、建物のすべての部分がそれだけ古いというわけではない。フンザの歴史を振り返ると、15世紀の初め、アヤシュ王2世が、バルチスタンの王女シャー・カトゥーン姫と結婚している。この王女は結婚に際し、大勢の大工や石職人や様々な分野の熟練工従えてフンザ入りした。これらの熟練工たちは、まずアルティット城を改修して、美しい装飾をほどこした。続いて彼らはバルティット城にも同様の改修、装飾を加えた。王女の出身国バルチスタンは、当時はチベット王国の一部であって、小チベットとも呼ばれていた。したがって、バルティット城にはチベットの影響が色濃く見られ、ラサのポタラ宮殿によく似た部分が多いのはそのためである。

 パキスタン北部には多くの古い城塞があったのだが、そのほとんどが消滅している。それは、9世紀の半ば、カシミールのマハラジャ()がこの地方の村々を攻撃、多数の独立国を征服し、その城塞を破壊してしまったからである。しかし、さしものカシミール王の軍隊も、フンザ王国の戦士たちにはかなわず、3回も撃退されている。それゆえ、フンザの二つの城塞、アルティット城とバルティット城が今日もなお残っているのである。

 不幸にしてフンザは、1891年12月英国に征服された。そして人々の生活や城塞の建築様式にも大きな変化がもたらされた。英国は、ロシア軍がフンザの渓谷を通って英領インドに攻め入ってくる可能性を恐れたため、フンザを手中に収める戦略を強行したのである。当時のフンザの王サフダール・カーンは、家族や忠臣ワジール・ターラ・ベイグを伴って1891年12月カシュガル(中国)へ亡命した。そこで英国は、王の弟ムハマド・ナジーム・カーンを、1892年1月、フンザの王位に

つかせた。ムハマド・ナジーム・カーンの治世は穏やかで、平和に、成功裡に1938年まで続いた。

 ムハマド・ナジーム・カーン王も、在世中にバルティット城に数々の増築と改修を加えている。彼は三階の大部分を取り壊し、代わりにいくつか新しい応接室を作った。外からも見える通り、多くの突起部分を作り、白い漆喰を塗り、広い窓には多彩な色ガラスがはめ込まれて、もとの城の外観とはかなり違ったものになっている。

 先代の王ムハマド・ジャマル・カーンもバルティット城に1945年まで居住していたが、戴冠式の後、約1キロ離れた敷地に新築した宮殿に移り、ここに1976年に死去するまで住んだ。したがってバルティット城は1945年以後、住む人もなく、手入れや維持管理もされないままに荒れて、損傷がひどくなり、あわや廃墟となる危険が迫っていた。

 ところが幸いなことに、アガ・カーン4世()から、この建物を修復する旨の申し出があった。そして、現在のフンザ王ガザンファール・アリ・カーンが、慈善事業としてこの城砦をバルティット遺産財団に寄付した。この財団は、バルティット城の維持を目的とする公式の財団である。修復は、ジュネーブにあるアガ・カーン文化協会()の予算によって、6年掛かりで完成され、パキスタン政府のアガ・カーン文化協会と同国アガ・カーン建築委員会に引き渡された。修復にかかった費用については、さらに、アメリカのゲティ・グラント計画からも支援を受けた。ノルウェイのNORADと、フランス政府からは、城を博物館と文化センターに改造する設備費の支援が得られた。

 修理完了した城砦は、1996年9月29日の開会式のあと、バルティット遺産財団の管理にゆだねられ、現在は一般に公開されている。バルティット城の展示品は、フンザのみならず全カラコルム山系の多彩な歴史と誇りを物語るものである。急速に変化しつつある現代にあって、この生きた文化を保護保存することは、我々の重要な使命である

1998年6月

著者 : イジャズラ・ベイグ : バルティット城博物館館長・資料館長

訳者 :: カノミ・タカコ : 日本、京都在住、文化人類学研究者

 

() アガ・カーンとは、イスラム教イスマイル派の最高位の聖者の一人。現在は4世。

Contact: kanjudi@gmail.com

 
     
 
     

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